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槍ヶ岳北鎌尾根 遭難未遂 2012年4月29日〜5月5日

山下きよし

概要 
今年に入って、1月の菜の花マラソン、3月31日~4月1日の背振全山縦走、4月8日の春風マラソンと体力消耗が続いていて、近所のランニングコースで右足ふくらはぎを痛めていて不安要素を抱えての出発でした。
東鎌尾根の水俣乗越しまで上がって北に行くか、東鎌でおとなしく帰るかでしばらく相談・悩んだのですが、北鎌の未練を断ち切れず“覚悟を決めて”突っ込むことにしました。この時点で私の頭はドライブモードに入ってしまい、NとRはなくなっていました。
今回は天気予想が難しかったです。1日までの快晴は判っていたのですが、2日の天候の崩れは気圧の谷の通過程度で大きくないと読んでいたのですが、実際の2日の天候は終日強風・雨で沈殿・停滞を余儀なくされました。
5月1日快晴の北鎌沢の登りでIKさんの疲労が激しく・熱中症、脱水症状になってしまって、独標の手前でまだ13時過ぎだったので、雪を溶かして飲んでもらって独標を越えてしまったら完全に行動不能に陥ってしまいました。
独標を越えた最初のコルで幕営することになりました。このコルが狭くて二人用テントを風向きに合わせて張ったのですが、夜中の風で千丈沢に飛ばされるのでは!?との恐怖と闘いでした、
しかも、2日13時頃に携帯で猪熊予報士の配信メールを見ると4日朝より積雪30cmの暴風雪との予報を見て3日中にピックアップしてもらわないとタイヘンなことになると考え、長野県警に救助要請をいたしました。
3日の夜中未明3時30分頃に風の調子が雨に変わってきて、この時点で生還を確信しました。
IKさんは2日一日休んだら元気になり、3日はテントを移動しました。
北鎌平の手前に大きな雪洞を発見しその中に幕営して、とりあえず安全な場所に入ったことを早く知らせたかったのですが、4日の槍の取りつきまで携帯が入らず、ご心配を掛けてしまいました。
4日の天候は朝曇りながら薄日が差す様子、暴風雪は午後にずれたようで午前中に
抜ければ何とかなると思われました。朝起きるとなんと神奈川からの4人Pが先行していてルートの確認も容易にでき9時過ぎに登頂、10時20分頃に槍の肩小屋に入り、無事生還いたしました。
駈けつけ・心配していただいた皆さまにはたいへんご迷惑を掛け、貴重な時間を私どものために使っていただき大変感謝いたしております。
深く反省いたしまして、今後は救助活動等みんなのためになるような活動をしていきたいと考えております。

参加者、CL山下、[山嶺]IK

行程
4/29(日)
博多6:30->名古屋10:00->12:04松本->新島々13:25->15:00上高地~横尾18:00

4/30(月)晴
横尾5:30~槍沢ロッジ7:55~赤沢岩小屋8:45~水俣分岐9:35~水俣乗越12:09-:20水場13:50~北鎌沢出会い(幕営)14:40~18時頃就寝

5/1(火)快晴のち小雨
3:00起床4:45出発、北鎌沢~北鎌のコル8:05~2749m(P9)11:55~13:15独標取付き休憩-:30~15:05トラバース終了15:30P10-11コル18:00就寝

5/2(水)雨(夜半強風)
一日停滞

5/3(月)雨のち曇り
6:00起床~7:45出発~12:00幕営地点(2860m)

5/4(火)曇りのち吹雪
4:00起床~5:45出発~P15 6:40~北鎌平7:10~槍ケ岳頂上9:30-:55~肩の小屋10:20-11:45~13:10水俣分岐~13:55槍沢ロッジ14:20~横尾15:50-16:00~17:00徳沢ロッジ
 
5/5(水)曇りのち晴れ
4時起床4:30出発6:00上高地
 
通信記録 (警察との連絡内容は略)
5/1 
16時頃山下からHSさんにIKさんが全く行動不能になったことを伝える。幕営して休んで様子をみることにする。原因は日射病か脱水症状と思われる。4日には天候が回復するのでそれまで凌いで、対策を考えるように言われる。

5/2 
10:12 HSさんから4日には天候回復しそうだから、停滞した方がよい旨連絡受ける。
10:20 HSさんに明日の様子を見て行動することを伝える。
13:49 長野県警に救助要請を入れる。(4日は朝から暴風雪との情報により、3日中に抜けるのは難しいと判断、3日にピックアップしてもらおうと考える)
14:33 IR会長と県連A会長に県警に救助要請を出したことを伝える。
15:03家内に救助要請したことを伝える。
19:22 県連としてHS・KIを救助隊として出す。4日に槍ケ岳に登るとの連絡。

5/3
5:40 HSさんから大阪通過中の連絡を受ける。
6:52→HSさんに、今日は行動しない旨伝える。北鎌平まで来てもらえれば、IKも動けるとの旨の連絡を入れる。
7:02→HSさんに、テン場移動のため出発する旨メールする。
7:13 HSさんから、明日昼から天候回復するので動く必要はないとのメールを受ける。(北鎌平の手前の3000mに雪洞の跡に幕営。槍の取りつきまでメール圏外)
  
5/4
7:52 HSさんに槍に取りつき登攀開始する旨メールする。県警、Mさんに電話し会の人達にも元気に登攀している旨伝えてくれるようにお願いする。(この後、すぐに電池がなくなる)
7:58小屋に着いたら槍沢に下りるようにメールを受ける。
10:30(槍山頂付近)HSさんからKIさんと合流するように電話を受ける(IK)
11:15 県連A会長、IR会長に槍ケ岳山荘に入った旨メールする。

今回の山行の問題点
○2日以降の天候の判断が甘かった。2日以降天候は下り坂であるのは判っていましたが、大きく崩れるとは考えていなかった。2日の雨と4日の気象予報(朝から積雪積雪30cmの暴風雪)は予定外でした。(実際は午後から吹雪となった)
○体力不足
IKさんは30日の水俣乗越しの登りと北鎌沢の出合いまでは壺足状態になり遅れていた。1日コルまでの登りに3時間20分を要しておりかなりしんどそうだった。
○熱中症(脱水症?)
1日の独標に取りつくまでにIKさんは疲労と熱中症(脱水症状?)で相当弱っていたにも拘らず水を飲んでもらって突破した。(独標手前で幕営すべきであった)

適切な判断と良かったこと
○テントは2人用・縦長で風に対して強かった。小型で風抵抗が少なかった。
○3日以降はムリのない行程で行動した。
○3日、北鎌平近くまで移動できたこと。
○食料計画を見直し食い伸ばしができた。
○暴風雪は4日の午後にずれ、午前中はそれほど荒れていなかった。
○警察の救助要請は結果としては不要であったが、2日に4日暴風雪情報を入手して早めの最悪の事態を考慮した対策としては適切であったと考えています。

装備の反省
○コッヘルは大中2個持って行ったが、中1個でよかった。
○ガスは結局大1しか使わなかった。満タン大1と予備として中1で良かった。
○テント用竹ペグは不要だった、四隅をバイルで押さえているので充分だった。

本文
4月29日(晴れ) 朝、小倉7時ののぞみに乗り込み、名古屋経由で松本・上高地。上高地から歩いて横尾に着いたのが18時。この日だけ豪勢に鍋です。

30日(晴れ)
4時起床5時30分発
この日は私の足の不安もあるので水俣乗越まで上がって、東鎌尾根に転進するか北鎌に進むか決定することにして出発しました。
一ノ俣、二ノ俣を過ぎ、槍沢ロッジまで2時間。水俣乗越しの分岐をGPSで確認してデブリを越えて水俣乗越しまで上がると足は思ったほど痛くなく、残雪もそれほど埋まらない。(IKさんは壺足に嵌まってだいぶ苦労していました)
乗越しで協議しました。私の足は多少違和感はあるが思ったほどには痛くはない。10分くらい話をしたでしょうか、北鎌沢に入ったらもう戻らないことを確認して、IKさんは「どちらでもイイよ」と言いつつ北鎌は捨てがたい、後での反省でもこの時頭の中80%は北鎌になっていたと言っていました。
「それでは、覚悟を決めて突っ込むよ」と宣言して北に下りて行きました。これが大変なことになるとも思わず。
Sレポートでは下り始めは80度の急峻な雪壁であるように書いてありましたが、 せいぜい40度くらいの雪斜面です。降り口が違うのだと思われます。右俣の出合いを目で確認して一気に下ります。デブリの小さな尾根を拾っていくと沈みが少ないです。後ろを振り向いてみるとIKさんは遥か手前で足を埋もらせて、もがいていました。
水の流れが地表に出ているところがあり水を汲んでから45分ほど降りて右俣の出合いに15時前に到着しました。沢と樹林との境にテン場を求めて、右俣を偵察してみましたが、このデブリは凄い。下部の谷全ては雪崩ブロックで埋まっていました。
今日の夕食はIKさん得意の白菜と豚肉の蒸し焼き鍋でした。
明日は全体の中でも最もきつい一日になることが予想されたので3時起床、4時30分発予定。

5月1日
朝、3時起床4時45分出発
沢出合いが1820m コルが2520m 標高差700mを一気に登らなくてはなりません。これを何時間で登れるか。右俣の上部は分かれていて通常は右に登るようです。今回は左俣にもトレースがあり(たぶん下降の踏み跡だと思われる)距離短縮に左を登ってみました。コルが8時05分IKさんが10分遅れ。3時間20分、Sレポートでは2時間40分ちょっと、かかり過ぎか!競争じゃないし、雪の状態も違うので一概には言えません。(“Sレポート“とは私が会友になっているカランクルン山の会のHPにある2010年の山行記録です)
これから独標を越えるまでが今回の核心です。緩い雪稜と雪壁を登ると2730mのP9に出ます。ここからは独標(P10)のルートが手に取るように判ります。IKさんは水を飲まないと動けないという。
この後、雨になるとは思えないような無風快晴。日焼け止めを塗り、ジャケットを脱いで、頭から氷を掛けてみると、胸から入った氷が急に冷たく筋肉が麻痺しそうだった。
「それは体力的疲労か日射病か?」
「両方だと思います。水を飲めばあと1時間は動けます」と云う
それではとザックからコンロと大きな山下の食器を出して雪を溶かして1L弱は飲んでもらいました。
「これ以上は動けない」と宣言すればよかったと、テントの中での反省会では話になりましたが、その時とても言える雰囲気ではなかった。IKさんは体育会系の有無を言わさない力を感じたと言っておりました。山下としてはこの時点で13時。3時間かかったとしても16時には到着するであろう、18時までは明るい、との読みがありました。

独標はトラバースして越えるのだと思っていました。Sレポートでも30mロープ3ピッチとあります。ここから見ると3ピッチでは届かないような気がしますが・・核心部しかロープを出さないのだろうと考えて気にしなかったのですが。近づいてみると直登しているトレースもあります。が、私の頭の中はトラバースしかなく迷わず右のトラバースルートに入って行きました。
10年以上前に、トラバースで数m滑落しザックが引っ掛かって止まった記憶があります。(思い返してもぞっとしますが・・)
ここに入る前にロープワークの打合せをしました。
①“ビレー解除”や“上がってきてイイぞ“とか声による指示は出さない。声は聞こえないことが多いし、叫ぶのも疲れる。ロープの動きで判断してビレー解除、移動してロープが引かれるようであればそのまま登ってくる。
②30mロープでリードが支点に届かないことがあるので。ランニングビレーを取ったピッチで支点が届かない時は、ランニングコンテ(リードとセカンドが同時に動く)で移動する。
③ロープは精神安定剤のようなものであり、北鎌程度のレベルでは落ちない! ロープは不要だと思って登る(それにしては邪魔くさい)
Imgp1200
この時、13:30分。少々時間が掛かっても15時過ぎには越えられるだろうと考え、ここで幕営することは思いつきませんでした。
「ここを越えればずっと楽になるから」と励ましたのですが、私の頭の中ではこれを越えれば頂稜の雪原が広がっていると思っていました。その考えはトラバースを終了したとたんに間違いであることに気づかされました。
雪斜面のトラバースは5ピッチ、終了点から右上を見ると、2ピッチ氷雪の斜面にトレースが伸びています。この氷雪壁が悪い。アイス用のアイゼンを履いてきて良かった。
「もう動けない」と云うのを「コルに出ればテント張れるから」と言い残してリードして行きました。
このピッチはロープをきっちり張ってボディービレーをしました。独標の肩に出てここで張れるかと思いましたが、岩がかなり出ていて張れそうにありません。やはりコルに幕営地を見つけるしかありません。
今度は先に下りてもらいました、最後1mほどの段差があり着地もテンションを掛けて降りてもらいました。見ると天井沢側に雪壁がスッパリと落ちています。
ここで15時30分 ここはいまいち狭くて不安定なコルでした。が「これ以上一歩も動けない」
なんだか雨・風も怪しくなってきて、なんとかここに幕営点を見つけなければなりません。
会のHSさんにとりあえず連絡を入れる。
テントは二人用で縦長、風は東(天)→西(千)に通り抜けるので雪の吹き溜の北端をスコップで削り、入口を西側にして張りました。
当然バイルを四隅に打って、フライが捲れ上がらないように雪ブロックを5段くらい東側積みました。これくらいやっていれば何とかなるだろう。側部にも積みたいのですが斜面と風で積み上げになりまん。
2日の夜までの風(最大風速16~22m/s)に良く耐えてくれました。

書き遅れましたが、今回山行の重要テーマは「落とさない」ことです。命を落とさないことは当然ですが、滑落しない。ATCもレジ袋1枚も無くさない、落さない。
何とか二人寝れる空間を作ってバイル・アイゼンスコップ以外全てテントの中に入れました。雪袋をスコップで押さえてキジ打ちも小も一人づづブーリン結びでビレーして外に出ました。
18時を過ぎると小雨に風がそよりと吹いてきました(9m/s)この程度なら何とかなると安心して就寝したのですが。

2日(風雨)
夜半2日になると雨を伴って風もだんだん強くなってきました。朝4時過ぎに起きてみると、風は動けないほどではないが雨があり一日、停滞・沈殿と決めました。
お昼過ぎ13時頃IKさんの携帯で猪熊予報を見ると、明日3日は朝のうちは雨風が強まるが午後は次第に落ち着てくるとある。
問題は4日で「4日は朝から暴風雪で4日深夜まで24時間で30cmの降雪の恐れ、4日の18時は風速28m」とあります。いくらなんでも30cmの暴風雪はないだろう、と思いました。
しかし、それなら3日中に下りなければ4日暴風雪つかまりとんでもないことになるのでは!と怖くなり、13時49分に長野県警、大町警察署に救助要請を入れました。
警察・外部とのやり取りは別紙・まとめを参照してください。
夜まで外部連絡と、携帯の電池の消耗を気にする心細い一日となりました。夜6時頃から次第に風が強くなり、テントが破れないのか不安になってきます。食料、は節約のため1食を二つに分けて食べる。全く動かないのでお腹は空かない、不安で食欲はない。
不安でトイレがやたら近くなり、その度に相方を起こし、プルージックでビレーするのも大変なので対策を考えました。
ごみになったアルファ―米の袋をシットポッドにしてフライの下に捨てることにしました。これなら外にでなくてよい。各自自分の袋を決めて、靴の下に置いておきます。
私は朝まで4回くらいしたでしょうか。
風は夜半に向って次第に強くなってきました。少しでもテントの負担を軽くするべく、東側のテントシートを背中で押さえて座っていました。
各00分のキリの良い時間に携帯の気象予報の雲の動きを見ていると次第に西から雲が切れていくのが判ります。夜中の3時頃から風の息継ぎの間隔が短くなってきました。3時30分頃から風は緩くなり(6m/s)代わりに雨模様になってきました。風さえ落ち着いてくれれば多少の雨が降っても持久戦で何とかなります。私はこの時点で生還できることを確信しました。(すでに、救助要請してしまっていましたが)

3日(曇り)
朝起きたときは一日動かないつもりでしたが、朝6時小止みになってきたのでテン場を移動することにしました。
1日の記述にもありましたように、レジ袋ひとつ落とさないために、アイゼンとテント以外は全てテントの中でザックに詰めます。外に出て、ザックをバイルで固定してポールをたたみます、その間フライが飛ばないように押さえています。二人同時に別のことをしない、最後にテントを畳んでザックに詰めて出発です。
この移動は天場が安定していないため、ピックアップしてもらうため持久戦に備えてより安定した天場を求めての移動です。したがって、安定したところであれば近くでもよかったのですが。歩きだすと順調に進むし、ヘリのピックアップにも自力・救助にも対応できるよう、救助隊が北鎌平まで迎えにきてくれた場合にはできるだけ進んだ方が良いとのIKさんの考えもあり。なるべく進むことにしました。
途中に日大の遭難跡のテントの残置がありました、あとで調べてみると正月に吹雪にあってピックアップされたもののようです。夏になり雪が溶けないと回収は難しいのでしょう。途中、懸垂下降の支点もありますが、全てクライムダウンで通過しました。
4日には西北西に風向きが変わるとの猪熊予報だったのでP14あたりに(P15が北鎌平の隣接の峰、槍本峰はP16)北向きに岩峰のある幕営適地を見つけて、整地を始めたのですが北鎌平の手前に風避けブロックらしきものが見えて、あれがSレポートにある幕営地だろうともう少し進むことにしました。
そこは中途半端に広い岩峰のある雪稜に大きな穴が2ケも空いていました。
Imgp1228
良く見るとひとつは崩壊した大きな雪洞でこれ以上耐風性において安定した幕営適地はありません。
この時12時ちょうどで中途半端な時間。このまま抜ければあと4、5時間で小屋まで抜けられるだろうが、13時に出発して17か18時。何かあれば18時30分には暗くなり行動不能に陥るかもしれない。ここは雪洞跡で一安心して明日の午前中に勝負することにいたしました。最悪、風速28m/sの暴風雪になってもここなら大丈夫です。
早速、救助隊に連絡すべく携帯を出して高く掲げてみますが、繋がらない。ひとつ手前の適地でも通信を試みたのですが、受信はできますが発信ができない。心配しているだろうし、どこにいるかによって救助体制も違ってくるだろうが、送信できないのではいたしかたない。
ところがIKさんと奥さんとの電話だけが瞬間的に繋がったのです。なんだか赤い糸で繋がった体内携帯電話があってそれで会話しているのではと思えるほどです。後になって、山嶺の池田会長経由でHSさんに現在地を連絡してもらえば良かったと気が付きましたが、再度通話を入れても繋がりませんでした。そんなことで、明日はなにがあっても抜けるとの決意で山下が持ってきた予備の五目飯2食分を食べて明日に備えます。
ここまでくれば、槍は美しい稜線を描いて屹立しているはずなのですが、残念ながら水俣乗越で見たきり一度も見ることはできませんでした。

4日(曇りのち吹雪)
夜中の2時にトイレに起きてみると、曇りながら時々星が見えます。これは行ける! 慌てず焦らず諦めずの精神で、4時起きて、5時過ぎに出発することとしました。
朝食は自前のパンとキャンデー以外は全て食べて、これで必ず抜ける覚悟です。
ところが外に出てみると、目前の雪の岩峰(P15)を登っているパーティーが4名もいるようです。穂先の取りつきで追いついて聞いてみると、朝4時前に独標の(手前?)から出発してきたとのこと。2日の雨は沈殿・停滞したと言っていました。昨日3日に独標まで上がってきたのでしょう。それにしても4時前に独標手前を出発してこの時間(7時北鎌平)に着けるものか?独標を越えたところでの幕営の聞き間違いか!?
穂先の取りつきのビレーハーケンに到着したのが7時20分頃です。先行Pのラストがロープの引き上げられるのを待っていました。
待ち時間にHSさんにメール、県警に電話をいれ「元気です。今から登る」ことを伝えてもらうようにお願いしたところで、電池がエンプティーとなりました。
先行しているのは横浜からのパーティーで、岳連系だそうで知っている人はいませんでした。スノーバーを持ってきており、そこまでいるものなのか!?と思いました。(懸垂下降になれば必要ですが)
2ピッチ目を登ると右に遭難レリーフがありその左上にハーケンがありました。
3ピッチ目、チムニーを右に巻くと残置の大きなシュリンゲがありそこから2ピッチ雪壁を登ると頂上です。
祠のすぐ横に出て、ボディービレーでセカンドを引き上げて終了です。
横浜Pと写真を撮りあって下山に掛かったのが10時前で、肩の山荘に到着したのが10時20分でした。
この梯子の下りでも何度も滑落事故が起きており、気を緩めないで慎重に行動しなければなりません。
小屋で携帯の充電をしてもらって、カップラーメンを食っていると、救助隊のKさんが上がっているので小屋で待機しておくようにとHSさんからのメールがあり、11時前にKさん、登山学校、のT、A、Mさんと上がってきて、無事を喜んでくれました。隣の横浜Pはなんでこんな騒ぎになっているのか判らない様子で、彼らにとっては2日の雨の沈殿以外は予定通りの行動だったのでしょうか悠然としておりました。
このPの行動を推測すると
 1日に水俣乗越を越え、北鎌沢出合いに泊
 2日は同所で沈殿・停滞
 3日に沢出合いから独標越え(?)
 4日に独標から槍登頂下山
だったと思われます。天候をきっちり読んでそれなりの体力があれば多少、天候が悪くても登れるものだとおもいました。
12時前に小屋を出て、この時間あたりから槍上空方面の雲が厚くなってきました。午後から稜線付近は吹雪との予報は正しいようで、12時から18時に掛けて17~28m/sになっています。
シリセードで一気に下りていくと、Kさんは最悪北鎌平までフィックスロープを張るつもりでいたようで、たくさん荷物を担いできてもらって、ありがとうございました。
横尾で休んでいると広島の旧知の山仲間に会い、お互いに元気に山を登っていることを確認しあって感激の対面でした。  一方この時、穂高周辺の稜線上ではこの吹雪に捕まって低体温症の遭難を起こしているようでした。 横尾到着が16時徳沢に17時に到着して上高地のタクシーを問い合わせてみると、18時30分までしかタクシーは上がってこないとのことで、急遽徳沢に泊まることにしました。

5日(晴れ・曇り)
朝4時に起きだして、上高地まで歩き、沢渡で車を回収し県警の事情聴取とお礼挨拶に大町署に向います。
釜トンネルを抜ける頃、重籐さんからの連絡で“A山の会”の山行で元会長のYさんの死亡・遭難の一報が入ってきました。
我々は何もできない、横尾に残っているTKさんに現地情報収集を依頼して、大町警察署で情報収集と事情聴取・お礼に向う。
車の中に沈痛な雰囲気が漂う、警察署に出向くと別件の白馬岳での遭難で署内の対策室だけが騒然としていて、玄関前には報道が情報を求めて人だかりができていました。
我々の救助要請は全く取材対象にはなっていない、担当のMさんも爺ケ岳での遭難に出払って、課長さんに対応していただく。
涸沢岳での遭難は松本署の管轄だそうでここでは充分な情報は得られませんでした。
管轄署は槍の稜線で分かれているようで、槍から北は大町、南の穂高は松本警察署だそうです。
白馬の遭難事故は北九州の中高年で、中に労山系のメンバーがいるようだとの情報が入り、また重い気分になりましたが、これは同姓の間違いだと判りました。
この時期5月連休は毎年遭難が起きます。天候が良ければ夏草の煩わしさもなく、足元も締まって氷化した雪面を歩けば快適にペースをあげてTシャツ一枚でも暑いくらいです。が一旦寒波や暴風雪が来ると、真冬の世界になってしまいます。
4日の日も朝起きた時は曇り空ながら薄日が差していたのですが、午後からの風速は16mから28m/sと真冬に一転してしまいます。
今回の場合、5月2日から5日までの天候予報が各メディアでの予報が錯綜していて。予想判断が難しい状況にありました。結局、4日午前中は曇りで午後から風が強くなり吹雪となりました。山の上の天気に関しては少し危険側ではありましたが、猪熊予報が最も近かったようです。
結果として、自力下山できたので、救助要請しなくてもよかったのではとレポートを書きながら考えていますが、(一部にそのような意見もいただきましたが)1日に脱水症状になり、2日に4日の暴風雪の予報を得て、救助要請を決心しました。同じ4日に低体温症による遭難も起きており半日早く天候が悪化していたらどうなったか判らない状況を考えると、早めの対処をしてよかったと考えております。
皆さま方にはご迷惑を掛けお詫申し上げます。また、私どものためにご尽力いただきましてありがとうございました。
                  



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