« 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路② | トップページ | 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路④ »

宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路③

第2回目(11月29~30日)


480_3

第2回目の参加者は、前回の宿泊組5名に加え、3名が新たに参加し、合計8名となった。チャーターした小型マイクロバスで大阪駅前を午前7時30分に出発。五条を経由して国道168号線を南下し、川津から神納川沿いの林道を遡る。前回の下山口の五百瀬の三田谷の集落に11時20分に到着。そこで待っていてくれた宇江さんと落ち合う。宇江さんは、まだ風邪から完全には回復しておらず、今日1日だけのお付き合いとなった。
 われわれが車をとめたすぐ前の家は、小辺路にはじめて馬(荷駄)を導入した池尾馬之助が老後住んでいたもので、現在は孫の代になっているという。宇江さんが、庭先で洗い物をしていた50歳過ぎの婦人に声を掛けると、そのひとが馬之助の孫の奥さんだった。舅や姑から馬之助の話は聞いているという。


460

今回の登山口となる三浦口まで歩く道すがら、平 惟盛の墓と言い伝えられている祠を教えてもらう。平 惟盛は清盛の孫で、平家物語では壇の浦の戦いに敗れたあと、熊野の山奥に落ちのびたが、最後、熊野灘で入水したとなっている。しかし、この地方では、地元の豪族にかくまわれ当地で生き延びたと言い伝えられ、あちこちに惟盛の墓がある。前回歩いた野迫川村の平という集落にも惟盛塚があったことは前述したとおりだ。
三浦口のバス停前から神納川の河岸まで下り、小さな吊り橋を渡る。昔は、渡し舟を使って渡河していたらしい。つり橋の名前は、船渡橋。江戸時代の古い記録に、船賃が高いとう苦情の話がでているという。
いよいよ三浦峠への登りだ。丁度正午である。細い坂道を登ると民家の前にでる。今でも人が住んでいる。そういえば小辺路の特徴は、石畳が多いことと、よく民家の庭先を通ることである。

469

息を継ぎながら鬱蒼とした植林のなかの急坂をしばらくのぼると奇妙な恰好をした巨大な杉の古木群が現れる。周りの整然とした植林のなかで異様な一角をなしている。吉村家跡の防風林だ。屋敷の風上側に杉並木を植えて防風をする風景は今でも地方で見られるが、手入れをされることもなく何百年も経過するとこんな姿になるのだ。人の営みはつとに絶え、人家は朽ち果てても、それを見下ろし続けた杉の古木群と石積みに歴史の重みを感じる。
470


宇江さんが持参の法螺貝を吹く。その響きは、樹間を抜け、峰々へ広がった。
道が雑木林のなかのゆるやかな踏み跡になったところで、遅めの弁当を開く。三十丁の水場を越えた2時過ぎに、宇江さんは引き返すことになった。登山口に停めておいた車で、我々の下山口である西中に先回りするためである。宇江さんがくだっていったあと、前回にくらべ今回は宇江さんの口のすべりはよかった、前回は大阪のオバちゃん連中の毒気に当てられペースを乱されたうえ風邪までひき、散々な目にあったと思っているにちがいない、などと囃し立てながら歩く。
2時25分に三浦峠にでる。そこには小さなトイレと、東屋があった。東屋のまえには説明板があり、16世紀の文献(駄洒落集)にすでに大辺路、小辺路の名称がみえるむね書いてあった。「へちまの皮」と荷駄に使われていた瘠せ馬を掛け、「へち(辺路)馬」の皮はなんの役にもたたないという駄洒落である。尾根を林道が走っている。高野龍神スカイラインに繋がっているという。私は、三浦峠からは、前回越えた伯母子岳が望見できると期待していたが、展望はまったく利かず、がっかりする。小辺路ルートは林道を横切り、鹿よけの防護柵の扉をあけて進むことになる。
道は尾根を左右に跨ぎながらゆるやかにくだる。古矢倉跡、出店跡を過ぎさらにどんどんくだっていくと、左手があかるく開け、深い谷の向こう側の中腹に人家が見える。今西の集落だ。小辺路は今西川と西川との合流点へ向かって切りおちている尾根をたどっている。途中あまり高度がさがらないと、最後に急坂が待っていることになる。Mさんから、なぜ古道は谷筋を通らず尾根道が多いのだろうと聞かれたが、尾根道が谷筋より崩れにくく、また高低差を少なくするためでもあろうか。
やがて古道は新道と旧道とに分かれ、われわれは旧道をとる。こちらには、五輪の塔や矢倉観音堂があるのだ。矢倉観音堂についたのは、午後4時前だった。もうすぐ西中のバス停のはずだ。当初、小辺路をあくまで徒歩で繋ぐため十津川温泉の「昴の郷」まで車道を歩く予定であったが、2時間も掛かるので車で移動することにする。
つづら折れの道をくだるとひろく開けた西中の車道にでた。車道に宇江さんの姿がみえる。たった今着いたところという。宇江さんが、法螺貝を吹く。

474_2


犬が吠え立てる。山の斜面にある最初の古家には、最近大阪から中年の女性が独り移り住んでいるという。この下の家にやはり女性が訳ありげにひとり住いをしているらしいが、宇江さんは、こちらの方が美人であると何回も繰り返していた。
西中のバス停まで少し距離があるが、古道は車道沿いに残っており、われわれはそれをたどり、バス停の前にでた。迎えにきていたチャーターバスに乗り、宿舎の十津川温泉の「えびす荘」に向かった。途中、宇江さんと別れの挨拶を交わす。


「えびす荘」は、Mさんがインターネットで捜し予約してくれた民宿だ。浴室は2階にあり、源泉掛け流しの露天風呂になっている。雨天のときは笠をかぶって入浴するのか、脱衣場には編み笠がいくつか用意されている。漆黒の夜空に星が瞬いていた。夜風に吹かれながら、深々と出で湯につかり、疲れを癒す。
宴会は雉肉の鍋である。初めて口にしたが、鶏肉とさほどの違いはなかった。身内だけという気安さもあって、皆でビールをかなり飲んだようだ。一同疲れていたのか、席を移してのおしゃべり会もなく、すぐにおとなしく寝てしまった。

487



« 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路② | トップページ | 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路④ »

8熊野古道小辺路」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1289826/50863755

この記事へのトラックバック一覧です: 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路③:

« 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路② | トップページ | 宇江敏勝先生と歩いた熊野古道小辺路④ »